遺言書というと、お金持ちだったり複雑な家族関係だったりする方が書くものというイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか?しかし、実際には遺言書を作成する方は年々増えています。
日本公証人連合会によると、2021年の1年間に全国で作成された公正証書遺言は10万6028件でした。(※1)10年前の2012年に作成された公正証書遺言は8万8156件だったので、遺言書を作成しようと考えている方は、やはり増加傾向にあるといえるでしょう。
遺言書を作成するメリットは、万が一ご自身が亡くなったときに、残された家族が相続で困ったり揉めたりするのを防げることにあります。裁判所が出している統計を確認すると、
相続財産がそこまで多くない方でも、相続で揉めていることがわかります。
令和2年度に行われた遺産分割に関する調停が成立した件数のうち、約58%は相続財産が1000万円以下でした。(※2)このように、多くの方が持っている「お金持ちが相続で揉める」というイメージは、実は間違いなのです。
遺言書を作成したほうがよいとわかっていても、どのような形式で作成したらよいのかがわからないという方がほとんどです。遺言書は決まったフォーマットで書かなければ無効になる可能性もあるので、事前にしっかりと確認したほうがよいでしょう。
「娘に言われたんだけど、どこに相談したらいいかわからなくて… ちょっと聞いてもいいですかね?」
お電話をくれたのは、文明さん(仮名)という男性でした。娘さんから急かされて電話をしたということで、最初はあまり乗り気ではない雰囲気が電話越しに感じられました。
妻が認知症になった場合に夫がしておきたい対策とは?
文明さんのお話を聞くうちに、文明さんの娘さんが何を気にしているのかがわかってきました。
「私は仕事も完全に引退して、細々と年金生活を送っている身なんですがね。妻と2人で暮らしていて、娘一家は同じ県内の違う市に住んでいて。車で1時間半くらいかかるけど、時々孫と遊びに来てくれるので、ご飯を一緒に食べるのが楽しみという感じです」
今回、文明さんにどこかに相談するように急かしたのは、その娘さんだったそうです。
「娘が『最近お母さんの様子がおかしい気がするんだけど』と、先月言ってきたんです。まあ、私も女房も75を過ぎてますから、多少物忘れはありますよね。娘が大げさに騒いでいるだけだろうと思ったんですがね」
娘さんは普段1ヶ月に1度は実家に帰ってきていましたが、職場や子どもの学校で新型コロナウイルスの感染者が多く出ており、高齢の両親の元への訪問をやめていた時期がありました。久しぶりに会いにいったときに、母の異変に気付いたとのことです。
娘さんは、文明さんの妻・美津子さんの行動が普通の物忘れとは違うと感じたそうです。
- 買い物に行くたびに玉ねぎを買ってくるため、玉ねぎが自宅に11個もあった
- 少し前の出来事を忘れていることが多くなった
- 白髪を染め直さなくなった
- ぼーっとしていることが増えた
「なんだかやる気がないような、そんな感じは少し前からありました。でも、ずっと一緒にいるから、私は変化に気付かなかったんですよ」
あまり乗り気ではなかった美津子さんですが、近所の病院に行ったところ「軽度の認知症」ということがわかりました。
「うちは女房のほうが3つ年下なんですよ。まさか、女房が先に認知症になるなんて。今は変なときもあるけど、反対にものすごくしゃきっとしていることもあります。私も慣れないながら家事をして、なんとか2人で暮らしていける状態です」
文明さんのお話を聞いていて、娘さんが気にしているのは美津子さんの介護についてだと思っていましたが、実は本題はそこではありませんでした。
「私、実は3年前に胃がんにかかって、胃の3分の2を摘出手術もしているんですよ。もともと高血圧でもあって。反対に、女房は認知症という診断は出ているけど、ほかに悪いところはなくて、健康が取り得のような人でした。……あまり口に出したくないことなんだけどね、私がたぶん先に逝くと思うんです。そのときにあの人はどうなっちゃうのかなと」
「もともとうちは女房のほうがしっかり者で、家計の切り盛りも町内会の仕事も全部任せてきたんですよ。それを知っているから、娘は私に専門家に聞くように言ったんだと思います」
万が一のとき遺言書が残され家族を守れるって本当?相続と認知症の問題とは?
文明さんと娘さんが気にしているポイントが、文明さんに万が一のことがあったとき、認知症の美津子さんが残されることだと気付いた私は、遺言書の作成をおすすめすることにしました。
認知症とは、脳の病気や障害によって認知機能が衰えていく状態です。さまざまな事項を自分で判断ができなくなるため、売買や賃借の契約ができなくなります。相続に関しても、同じです。
万が一文明さんがお亡くなりになったとき、妻である美津子さんと娘さんが文明さんの財産を相続することになります。遺言書がない場合には、相続分割協議という相続人同士での話し合いによって、故人の財産をどのように分けるのかを決めるのが一般的です。しかし、相続人のうち1人でも認知症の方がいると相続分割協議書を作成できないため、相続財産の分割が不可能になってしまいます。
相続分割協議ができないと、文明さんの財産は凍結されたままになり、銀行口座から預金を引き出すこともできません。
この場合の解決策として考えられることが2つあります。
- 認知症の方に成年後見人をつけて、手続きを代行してもらうこと
- 被相続人が遺言書を作成し、遺言書に基づいて相続をすること
成年後見人に関しては、手続きが煩雑で時間や費用もかかります。文明さんのケースでは、もしもの場合に備えて、遺言書の作成を行うのが最もおすすめです。
「遺言書ですか… どうやって書いたらいいのか、よくわからないのですが」
文明さんが不安そうだったので、遺言書の作成方法についてお答えしました。
遺言には3つの種類がある!作成するならどれがおすすめ?
遺言には3つの種類があります。また、遺言は一般的には「ゆいごん」と読みますが、法律用語では「いごん」といいます。3種類の遺言の特徴は次の通りです。
自筆証書遺言
「遺品整理をしていたら遺言書が出てきた」というような話を聞くことがありますが、この場合の遺言書は「自筆証書遺言」です。多くの方が一般的に想像する遺言書は、恐らく自筆遺言なのではないでしょうか?
自筆証書遺言とは、遺言者が遺言の全文・日付・氏名を自分で書き、押印したものです。遺言書に添付する財産目録は、パソコンで作成したものでも構いません。
自筆証書遺言は自分で遺言を書いてわかりやすい場所に保管するだけなので、作成するのは簡単です。しかし、要件を満たしていなければ、無効になる可能性もあるので注意しましょう。もし、自筆証書遺言を家族が見つけた場合には、封を開ける前にすみやかに家庭裁判所に提出して、検認の手続きをします。検認とは、本当に遺言者本人が書いたものなのかをチェックすることで、偽造を防止するための手続きです。
今まで自筆証書遺言は、自宅の金庫や書棚などに保管するのが一般的でしたが、現在は原本を法務局で保管することもできます。法務局で保管する場合には、検認の手続きが不要になります。
公正証書遺言
公正証書遺言とは、遺言者が公証役場に出向いて、公証人に作成してもらった遺言のことです。遺言者は公証人に遺言の内容を語り、公証人はそれを筆記して遺言書を作成します。公正証書遺言を作成する際は、遺言者と公証人のほかに、証人が2人以上必要です。未成年者や推定相続人などは証人になれないので、注意しましょう。
遺言書を作成しようと考えている方に、最もおすすめしたいのはこの公正証書遺言です。それはほかの遺言と比較して、確実に有効となる遺言を作成できるからです。
公正証書遺言は、専門の公証人が遺言者の言葉を聞き取りながら遺言を作成していきます。専門家が作成する遺言は、要件をしっかりと満たすもので、無効になる心配がありません。また、公正証書遺言は作成したのち、公証役場に保管されます。遺言はせっかく作成しても、誰かから発見されなければ効果を発揮できません。公証役場に保管されていれば、遺言者が亡くなったあと必ず公になるでしょう。しかも、ほかの遺言と違い、検認の手続きが必要ありません。
秘密証書遺言
秘密証書遺言とは、自筆証書遺言と公正証書遺言をミックスしたような遺言です。遺言者が自分で遺言を書き、署名と押印をして封筒に入れます。この封筒に公証人が日付などを記入して、遺言の存在を認めます。
秘密証書遺言の場合も、公正証書遺言と同じように証人が2人以上いる目前で、公証人に遺言を提出しなければなりません。しかし、立ち会っている証人や公証人に遺言の内容を知られないという点が、公正証書遺言との違いです。
「なるほど。遺言書を作るなら公正証書遺言がいいんだね。でも、証人として誰を連れて行ったらいいのか… 想定相続人がダメということは、娘はダメということだよな」
文明さんの唸り声が低く響きました。